フジテレビ 歴史 番組 4
「富良野ってのは、いま俺が住んでいるところ」, この数年前、倉本サンは脚本を手掛けていたNHK大河ドラマ『勝海舟』を演出陣とのトラブルから途中降板し、それがきっかけで東京を離れ、北海道に移り住んでいた。 時に1965年。当時のテレビドラマ界は、圧倒的に「ドラマのTBS」の時代だった。以前にこのコラムでも紹介したが、その中心にいたのは同局の石井ふく子プロデューサーが牽引するホームドラマである。, その余波はフジテレビにも波及した。月曜8時のドラマ枠(今風に言えば「月8」)で、一社提供のYKKから「ホームドラマにしてほしい」という要望が寄せられたのだ。それまで同枠は青春ドラマやコメディが放映されていたが、視聴率も低迷し、スポンサーの評判もあまりよくなかった。, そこで、新ドラマの企画に、フジの賞取り男として知られていた森川時久サンに白羽の矢が立った。彼はある日、毎日新聞紙上で「大阪で両親を亡くした5人兄弟が仲良く助け合って、健気に生活している」という記事を目にする。, 「いいオヤジといいオフクロがいて、子供たちと晩飯を食って、お説教をして万事メデタシメデタシという家庭なんて日本にあるかい」, 常々、通り一遍のホームドラマに批判的だった森川サンは、これぞ自分の求めるリアリティだと確信し、記事の切り抜きを編成の白川文造サンに見せる。半ば、NGを出されることを覚悟しての提案だった。だが、白川サンの答えは意外なものだった。, 「私の学生時代がこれとそっくりでした。立派なホームドラマです」 人に歴史あり――じゃないけど、テレビ局にも歴史あり。フジテレビがあれこれ言われる今だからこそ、ここらで一度、その歴史を振り返ってみましょうという趣旨である。, 皆さん、フジと聞いて、どんなイメージを抱きます? なんと、白川サンは学生時代に両親を亡くし、6人兄妹のうち受験生の次女を親戚宅に預け、残る5人で共同生活をしていたという。まさに記事の内容と同じである。その話に森川サンが目を輝かせる。 74年に放送された、テレビ業界の内幕を描いた倉本聰サン脚本の『6羽のかもめ』も、時のスター美空ひばりも見ているなど業界内では評判になるも――視聴率は7%台と低迷した。, そして、1978年6月に始まった『白い巨塔』も、かつて大映専属の映画スターとしてならし、その後、テレビに転じてTBSの「白いシリーズ」で人気を博した田宮二郎を担ぎ出すも――視聴率は思うように伸びず、夏のナイター時期には一桁台と低迷した。, 同ドラマのプロデュースと演出は、かつて『男はつらいよ』も担当したベテラン小林俊一サン。しかし、大学の医学部を舞台にした権力闘争と、当時まだタブー視されていた医療裁判という硬派なテーマは、お茶の間の共感を十分には得られなかった。, また、密かに「躁うつ病」の病に苦しむ田宮二郎のケアも、小林俊一プロデューサーを悩ませた。ドラマの終盤、病に冒される天才医師・財前五郎の苦悶以上に、時に感情の起伏が抑えられない主演俳優を抱える制作現場の戦いは壮絶だった。, 11月15日、財前五郎の最期となるシーンが撮影された。自らの死を前にし、初めて財前が医者としての良心に目覚めるシーンである。その思いを綴った友人・里見への遺書は、代筆を断り、田宮自らがしたためたという。 まさにマエタケさんのアドリブ力と、フジテレビの持つ自由な空気がマッチしたのである。, 面白い話がある。翌69年、マエタケさんは日テレの『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』に大橋巨泉サンと並び、メイン司会者として起用される。2人は洪水のように流れるショートコントの合間に登場し、生放送でトークしつつ、番組を交通整理するのが役割だった。, その記念すべき第1回の放送でのこと。2人のトークにはあらかじめ台本があり、セリフでは最後に巨泉サンのひと言でマエタケさんがギャフンとなる形だった。だが、これにマエタケさんはアドリブで切り返す。 1960年7月。日本初の昼ドラ『日日の背信』の大ヒットである。, 本来、「母と子のフジテレビ」の方針は、親子で楽しめる健全な番組編成を意味していた。例えば、日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートを流したり、海外の文化や風習を紹介する良質なドキュメンタリーを放送したり――。だが、その種のマジメな番組はともすれば視聴率がとれず、苦戦を強いられがちだ。 要は、映画会社はテレビ局に一切協力しないという通告。作品も貸さないし、スターも出演しない。当時、スターといえば、ほぼ“銀幕のスター”を意味していたので、今でいえば、人気の芸能人が一切テレビに出ないことを意味する。これは大変だ。まだフジテレビが開局する前の話である。, その打開策として、TBSや日テレは、外国(主にアメリカ)ドラマを輸入する措置をとる。当時、日本のドラマ制作能力は未熟だったから、これはこれで功を奏した。日テレが輸入した『ヒッチコック劇場』はヒッチコック自ら案内役を務めるスタイルが人気を呼んだし、TBSが輸入した医療ドラマの『ベン・ケーシー』も、最高視聴率50.6%を獲得する社会現象になった。五社協定の思わぬ副産物だった。, もう1つの副産物は、舞台俳優の活躍である。映画俳優がドラマに出てくれないのなら、役者を演劇界から連れてくるしかない。 そして1981年まで22年間も続く、大長寿番組となるのである。, そうそう、“五社”協定で思い出したけど、草創期のフジテレビには、五社英雄という一風変わった名前の名物演出家がいた。そう、後に独立して映画『鬼龍院花子の生涯』や『極道の妻たち』を監督する、あの五社英雄サンだ。, 彼のフジテレビ時代の代表作といえば、自ら企画した時代劇『三匹の侍』である。主演は、丹波哲郎。新東宝時代は芽が出ず、その後フリーになったところに五社監督から声がかかった。“三匹”の残り2人は、俳優座の平幹二朗と浅草・ロック座の長門勇である。どちらも当時は無名だったが、このドラマで人気俳優になった。, 実は当初、同ドラマは「五匹の紳士たち」なる探偵ドラマの企画だった。だが、五社監督が企画書を入社2年目の編成マン・白川文造サンに見せたところ、白川サンから「私立探偵が銃を放つのはダメです」とNGが出る。 極め付きは小川知子サンが出演した回。その月、彼女は当時恋人だったレーサーの福澤幸雄を事故で亡くし、歌い出すタイミングで、以前、番組で2人が電話で会話した録音テープがマエタケさんから手渡された。イントロが流れた時点で、既に彼女は大号泣。助け舟で親友の中村晃子サンといしだあゆみサンが前に出て歌おうとするが、こちらも貰い泣き。やがて涙の連鎖は出演者全員に伝播した。, 『夜ヒット』は社会現象になった。そして69年3月には最高視聴率42.2%を記録する。この記録は今もってレギュラー歌番組の最高視聴率である。, 1960年代後半、『若者たち』の映画化や、社会現象となった『夜ヒット』で存在感を増しつつあったフジテレビ。だが、そこに暗雲が立ち込めようとしていた。 スタジオに笑いが起きた。だが、次の瞬間、副調整室のスピーカーからプロデューサーの井原高忠サンの怒鳴り声が飛ぶ。, ――日テレのバラエティは、アメリカ仕込みのショーがベースにある。そこには台本があり、出演者はあたかも自分の言葉のように喋るテクニックが求められる。井原プロデューサーが求めたのはそういうことだった。 「まあね」, 白川サンは、かねてから温めていた企画を話した。それは、日本版『大草原の小さな家』ともいえる物語。富士の裾野に建てた丸木小屋を舞台に、自然の中で親子が暮らし、知恵と技術を学んでいくドラマである。 白川文造サンは15分のフィルムを見て、そのクオリティの高さに驚愕したという。そして「1日、時間をください」と言い残し、翌日にはフジの社内を説得して回り、その足でスポンサーの明治製菓の了解も取り付けたのだ。, かくして、『鉄腕アトム』のフジテレビでの放送が決まった。第1回放送は1963年1月1日。初回視聴率は29.5%と大成功だった。 「とにかく富良野を見にきてよ」, ――時に、鹿内春雄サンがフジテレビの副社長に就任し、プロダクション制度を廃止して“大制作局”を復活させる、1年前の話である。 番組連動データ放送: hd制作5.1ステレオ番組: 予告動画あり: 最新話無料配信: 字幕: 二カ国語: 音声多重: 解説: 手話 それは、1956年に松竹・東宝・新東宝・東映・大映の5社からなる日本映画連合会が、テレビへの映画作品の提供打ち切りと、専属俳優の出演を制限した申し合わせだ。翌年、これに日活も加わった。 だが――同ドラマはここから意外な展開を見せる。終了を惜しむ投書がフジテレビに殺到したのだ。その数、10万通。反響の大きさに、独立系の新星映画社からフジに『若者たち』の映画化の話が持ち掛けられる。 そう、後に野島伸司サンが書いて大ヒットする『ひとつ屋根の下』の元ネタだ。, リアリティを重視する森川サンの姿勢は、配役にも表れた。名の知れた俳優は田中邦衛サンだけ。あとは、橋本功サンや山本圭サンなど、当時は無名の俳優座の役者ばかりを起用した。ドラマを俳優の顔で見せるのではなく、彼らの等身大の演技に期待したのである。, 開始当初、同ドラマは「暗い」「怒鳴りあいが多い」などと言われ、視聴率も5~6%台と低迷する。しかし、回を追うごとにそんな逆風は和らぐ。けん引役は主題歌だった。今もテレビドラマ史に残る名主題歌『若者たち -空にまた陽が昇るとき」である。, 主題歌のヒットと共に、視聴者がドラマの内容にも共感するようになったのだ。「暗い」は「真面目」に、「怒鳴りあい」は「ディスカッション・ドラマ」へと評価を変え、気がつけば最高視聴率18%の人気ドラマとなっていた。, その後、同ドラマはギャラクシー賞を受賞するなど高い評価を得て、33回をもって9月末に終了した。 (中編へつづく), メディアプランナー。代表・草場滋。フジテレビ「逃走中」の企画原案ほか、映画「バブルへGO!」(監督・馬場康夫)の原作協力、単行本「『考え方』の考え方」(大和書房)・「買う5秒前」(宣伝会議)などメディアを横断して活動中。日経エンタテインメント!誌に連載中の…, 「テレビはオワコン」「そもそもテレビがナイ」……そんなテレビに後ろ向きな最近の若者たちに、テレビの新たな楽しみ方をテレビ好きの筆者がコンシェルジュとなって指南します。…, 「テレビはオワコン」「そもそもテレビがナイ」……そんなテレビに後ろ向きな最近の若者た…, 「君の低所得の人生の中で、ベストコストパフォーマンスのエンターテイメントはセックスだ…, 平成とは“窪塚洋介の崇高さと純度の高さに人々がついてこれなかった時代”なのではないか…, ある1人を除いて、好きになった女性には常に告白してきたという映画監督・今泉力哉。 その日、かつて手塚サンとアニメ映画『西遊記』を作った東映動画の白川大作サンが、弟を連れて虫プロを訪れた。弟は名を文造といった。そう、フジテレビの白川サンである。 激変するテレビ業界とか、ネット配信事業とか、SNSとの連動とか――そんな今っぽい話題は一切登場しない。 フジテレビ番組一覧(フジテレビばんぐみいちらん)は、フジテレビジョン (CX) で放送されているテレビ番組、または過去に放送された番組を列挙している。放送時刻はいずれも日本標準時。, フジテレビ系列朝ニュース枠、フジテレビ系列昼ニュース枠、フジテレビ系列午後のスポットニュース枠、フジテレビ系列夕方ニュース枠、フジテレビ系列深夜ニュース枠 ã§ã³ï¼AURORAâï¼, ãã¸ã»ã¡ãã£ã¢ã»ãã¼ã«ãã£ã³ã°ã¹/IR, å人æ å ±çã®åãæ±ãã«ã¤ãã¦, YouTube ãã¸ãã¬ãå ¬å¼ãã£ã³ãã«, Twitter ãã¸ãã¬ãå ¬å¼ã¢ã«ã¦ã³ã, LINE ãã¸ãã¬ãå ¬å¼ã¢ã«ã¦ã³ã. フジテレビ番組一覧(フジテレビばんぐみいちらん)は、フジテレビジョン (cx) で放送されているテレビ番組、または過去に放送された番組を列挙している。 放送時刻はいずれも日本標準時 ――「母と子のフジテレビ」である。, 発案者は、当時の編成部長で、後に関西テレビの社長となる村上七郎サン。ここで特筆すべきは、「ドラマのTBS」や「プロレス中継の日テレ」が、あくまで局側の視点(要するに川上の発想)だったのに対して、フジは視聴者目線(川下の発想)に立ったこと。まだマーケティングという用語が一般化する前の時代の話である。 なんだか、フジテレビのあるお台場の街までパッとしない印象だ。皆さん、最近、お台場に行かれました?, さて、今回はそんなフジテレビの物語。フジの歴史の話だ。 ドラマは2クール放映され、最終回で寅さんは奄美大島でハブに咬まれ、あえない最期を遂げる。ところが――この後が大変だった。放送が終わるや否や、フジに「なぜ寅さんを殺したのか」と、苦情の電話が殺到したのである。, その話を小林俊一プロデューサーから聞かされた山田洋二監督は、寅さんを勝手に殺してしまったお詫びの気持ちから映画化を思いつく。そして早速、松竹に企画を提出する。当初、テレビドラマの映画化に松竹の上層部は難色を示すが、山田監督の強い思いもあり、同年8月、映画『男はつらいよ』が封切られる。, そう、後にシリーズ全48回を数える国民的映画は、フジテレビのドラマが発端だったのである。, ここで、フジのバラエティにも目を向けたいと思う。 田中が並の政治家と違ったのは、100を超えるテレビ局の申請に対して、なるべく、その希望に応えようとしたこと。自ら県ごとに複数の申請者を一本化する超めんどくさい調整を行い、例えば、A社から社長を出したら、B社からは専務を、そして各社の持ち株比率はこう――といった具合に。, その甲斐あって、彼は申請者をただの一社も見捨てることなく、全てにテレビ免許を交付した。 時に1962年9月下旬。手塚治虫サン率いる虫プロダクションが制作した『鉄腕アトム』のパイロットフィルムの試写会が、内々で行われた。テレビ局へ売り込むために作られたサンプルである。 かくして、5人兄妹の青春ホームドラマ『若者たち』が誕生した。, 放送開始は1966年2月7日。前ドラマが打ち切りとなったため、変則的な時期のスタートとなった。 「そんなに長く休んでいたのなら、少しはいい企画を考えてきたろ?」 社内の空気はどん底だった。評判になる番組も皆無だった。, そんなある日、草創期のフジテレビを支えた、あの白川文造サンの元へ、旧知の脚本家の倉本聰サンが訪ねてくる。白川サンは一時、編成局からネットワーク局へ異動となり、再び企画担当として戻ったタイミングだった。倉本サンが問いかける。, 「ネットワークに何年いたの?」 無料で動画を楽しめる、民放テレビ局が連携した公式テレビポータルTVer(ティーバー)。見逃した各局の人気ドラマやバラエティ、アニメなどを視聴できる、完全無料の動画配信サービスです。 その後も人気はうなぎのぼり。春先には40%の大台に乗る。そして1クールの予定が都合4年間、全210回も放送されたのだ。, いや、白川文造サンの活躍はまだまだ続く。 当初は富士テレビジョンと漢字表記だったが、「富」の文字が当時のテレビの解像度では映りが悪く、間もなく簡素な「フジテレビ」となった。, 主な出資元は、ラジオ局のニッポン放送と文化放送である。元々、別々にテレビ免許を申請していたんだけど、郵政省の行政指導で一本化したってワケ。ちなみに、時の郵政大臣は、戦後最年少の39歳で大臣になった田中角栄である。, そう、田中角栄――。 ドラマは建設現場で働く長男を筆頭に、トラック運転手の次男、大学生の三男、一家の母親代わりで事務員の長女、それに受験生の四男からなる5人兄妹が、ひとつ屋根の下で助け合いながら、時に悩み、時にぶつかり、ひたむきに生きる姿を描いた物語である。 彼の名は岡田太郎。女優・吉永小百合と結婚する13年前の話である。, 昼ドラ「日日の背信」は、丹羽文雄の小説が原作である。お妾さんが他人の亭主と禁断の愛欲を重ねる話で、当時、カムバックを果たしたばかりの池内淳子サンは「よろめき女優」と呼ばれ、一躍時の人になった。
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